だらだらと長い文章。ぐえっと感じたらスルーしてください。
毎日のように午後から雨がふる。そう、雨だ。飴ではない。そんなものが降ってたまるか。固形のものならスピードによってはオデコに当たると結構痛いし、間違って水飴なんか降ってきた暁には傘がなければ大惨事になる。ベッタベタだ。ねっばねばのベッタベタ。キリスト教徒でなくてもオーマイガッと口走ってしまう。
今日は場所によっては雹(ひょう)が降ったようだ。そう、雹だ。豹ではない。そんなものが降ってたまるか。赤ちゃん豹ならまだしも、腹を空かせた大人の豹なんかが大量に降ってきた暁にはチャツの街は人間の血の海の地獄絵図になる。べっちゃべちゃだ。べっちゃべちゃのギッタギタ。もはや阿鼻叫喚しか聞こえまい。
何の意味があってこんな文章を書いているか。
文字を扱うもの、つまり「言霊」を操るものとして文字を間違うことは絶対に相成らんという戒めである。メールに「資料」を添付せず「死霊」を添付するのはもはや確信犯だし、「変身お待ちしております」と送って来られたって、ベルトがないから仮面ライダーにはなれないのだ(あれば簡単になってみせる)。
…というような取ってつけたような意味で書いているわけがない。ただ単に、やらなきゃならない仕事に今一歩手を付ける気にならないので「気分転換をしている」といえば聞こえはいいが正確ではない。「逃避中である」といえば聞こえが悪いが正確ではある。よく読んでも読まなくても、時間の無駄。まことにすいません。
師走はみんな忙しい。しかし忙しいときこそ心に余裕を持たねばならぬ。心に余裕を持つには筆を持ち、書に勤しむのが最高である。文字を優雅に操ってこそ、心を広くし、懐を深くし、自己に余裕を形成することができるのである。
あれ、おかしい。俺は大概筆をもっとるが…。
『木曜日は写経の日』心の余裕を生で感じてみるためにも是非お越し下さい。
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