心が熱くなる出来事があった。
銀行へ行った帰りにちょうど通りかかったので肉屋に寄った。お隣の国の方が経営してる肉屋だ。ここ何年もそこには行ってなかったし、出かけるときはその予定もなかったが、ふと間が差したのだ。ん?気が向いたのだ、と表現するのか。
ショウケースに並んでいる何種類もの肉たちは適当な塊に切り分けられていて、どうか私を買ってくれとこっちを向いている。
俺はそのなかの一種を選び、店主と思われる男に必要な重さとともにそれを告げた。
男はその群れの中から適当なものを選び、秤に乗せて値段を発表した。俺はOKとそれを承諾し、スライスしてくれるよう頼んだ。
すると男は手慣れた様子で俎(まないた)に肉塊をのせ、ナイフで手際よく肉を切り始めた。とても親切だ。行き届いている。
男はその肉塊の端を見事なスピードでバンバン切り落とすと、軽快とも思えるリズムでそれらをゴミ箱に捨てる。
素晴らしい技術だ。長い年月をかけて培われたのだろう。仕事に真摯な姿勢で向き合ってきたことがよくわかる。
俺は声をかけてみた。
「あなたはどうしてそれを捨てるんですか?」
男はすぐに答えてくれた。客を待たせないための心遣いも抜群だ。
「食えないからだよ」
食えないから捨てる。
なるほど。
感動した俺はすぐさま聞いた。
「さっき、秤にかけましたよね?」
男は答える。「ああ、もうかけたよ。」
何をいまさら。俺に抜かりがあるわけはなかろう、とでもいうかのようだ。
「ちょっと待って。おかしくないですか? (ごみ箱を指さして)それ捨てるものなんですよね?」
「ああ、食えないよ、そんなの。」
男はごみ箱の方を顎でしゃくってみせた。
素晴らしい。明快な答えの見本にしてもいいほどだ。
ちょっと大きめに呼吸を試みる。
どうして食えないと分かっている部分も含めて秤に乗せて金をとる? いけしゃあしゃあとしたその態度はなんだ?
落ち着け、落ち着け。
誰が招いたんだ、この状況?
誰がこの店に入ったんだ?
お前だろ?
お前が、お前の意思でその足を店内に向けたんだろ?
誰も強要してないぞ。誰も。
知らなかったのか?あ?
これが初めての体験か?
いや、そうではなかろう、分かってただろ?
分かってたのにお前はその足を店内に向けたんだろ?
もう見るな。もうしゃべるな。
意識を飛ばせ。遠い銀河の彼方へ。
血圧がどんどん上昇するが分かる。
心が熱くなる。
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