ほぼほぼどうでもいい話なのだが、まあなんていうか、「夢之」のことだ。知らないかな、夢之。
「夢之介」とか「夢之丞」とか、落語家か舞台役者なら知ってる人もいるけど、夢之は知らないか。そうか、そうだな。
人の名前の漢字について一説述べるほど「人名」について詳しくはないんだが、見た目はなかなか華やかさを伴う字面である。地味な性格の男子が持ってると重たい名前かもしれない。
必ずとは言い難いが、名前だけ見てその人を想像するときに、ある程度のそのご家庭のイメージが湧くことがある。両親が子供にどういうふうになって欲しいか、その思いが垣間見れるからだ。
阪神タイガーズの藤川球児とか、桑名正博とアン・ルイスの長男の桑名 美勇士(みゅうじ)とか(「みゅうじくん」って呼ばれるときに「ミュージック」って言ってる感じがするんだそうだ)、そのまんまである。
素直にそのレールに乗れるといいのだが、もちろんそううまくいかない場合もある。大仰な名前を背負わされて辛いと思う人も少なくなかろう。
名前で思い出してちょっと見てみたんだけど、変わり種で話題になったのは「悪魔」くん。その昔「悪魔」という名前をつけようとしたのを役所から拒否られて裁判した親がいた(その後の話はここから。もっともらしいこと言ってた両親のその後は「案の定」と言われても仕方ないほどの…→http://anohitoha-ima.main.jp/post-280/)。こんなの付けられた本人はたまったもんじゃないな。
「夢之」はどうか。
「夢」の字を名に持つというのはどういう気分か計り知れぬ。「之」には「…に至る」という意味があるから「夢に至る」というのがこの名前の持つ意味になる。至るわけだから実現するということなんだろう。息子に夢が叶う人生を、ということなのか。
いやちょっと待ってほしい。
夢に至る、つまり「夢」に行きつくんだとすれば、何が自分の夢なのかを自覚できるところまで到達した、ということになりはしないか。だとすればその子の人生はたたひたすら己の夢は何なのかと、夢自体を追うことに始終しないだろうか。
大丈夫か、夢之。俺が心配したところでどうなるものでもないが、夢之の行く末が心配だ。
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…と、1時間ほど前。
母親と電話で話していてなんとなく名前の話になった。
すると彼女は、あとちょっとで俺の名前が「夢之(ゆめじ)」になるところだったと言い出したのだ。
早くご飯食べちゃって、片付かないから。とでも言うような、あまりにもサラッとした言い草だったのでキョトンとしてしまった。
「は?何言ってんの?」と問う俺を無視してどんどん話を進める。
俺は熊本市内の母親の実家のそばの慈恵病院で生まれたんだが、母曰く、その祖母の家にはすでに命名の「夢之」の書が貼られていた。
父の兄の嫁(俺からすれば伯母さん)の父親(俺からすれば大伯父様。ほんとか?)という人物が当時人名判断に凝っていたらしく、これがベストと告げてきたのだ。
しかしそれを眺めていた母が「やっぱりこれは嫌!」と福岡の家に電話する。「えええーっ、もう命名書に書いちゃったのに~」となった福岡の家も「嫌だ」という嫁の言葉を黙殺することともできずに、再度大伯父様に依頼、という経過を辿ることとなる。
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全国の夢之くんへ
ディスってごめん。
でもこれ読んだら友達申請して。すぐ承認する。
(ググってもでてこなかったから居ないか…)
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